穏やかに輝く山田湾と、そこに生きる漁師の営みを守り続ける。

きらきらと輝く海面に浮かぶ、黄色のブイの列。カキやホタテの養殖いかだが並ぶその光景は、山田湾の復興のシンボルであり、力強く歩み続ける三陸やまだ漁業協同組合の象徴でもあります。
それぞれが70年以上の歴史を持つ、大浦、織笠、山田湾、大沢の4漁協が合併して誕生した、三陸やまだ漁業協同組合。特色ある地形を最大限に生かした、カキやホタテの養殖漁業が、わたしたちの屋台骨です。アワビやウニ、ワカメなどの採介藻漁業や定置網漁業も盛んで、バラエティに富んだ海産物を供給し続けています。
ごあいさつ
Message
組合員のための三陸やまだ漁協。
幾多の困難も共に乗り越えていく。
三陸やまだ漁業協同組合 代表理事組合長 生駒利治
三陸やまだ漁業協同組合は、山田町内の4つの漁協(大浦、織笠、山田湾、大沢)が合併して、2009年に設立した新しい漁協です。設立当初、組合員数は1,121名、水揚げ高は20億を超え、県内有数の規模を誇る漁協としてスタートを切りました。
ところが、そのわずか1年5ヶ月後、東日本大震災が発生。当漁協では、役員4名を含む63名の大切な仲間を失いました。被害総額は約66億円。壊滅的な被害を受けながらも、山田の漁師は立ち止まりませんでした。いち早くカキ、ホタテの養殖を復活させるべく動き出し、その年の暮れには、養殖棚の再建を果たしたのです。穏やかな海面に浮かぶ黄色のブイは、山田湾復興のシンボルとなり、地域の人々の心を明るく照らしました。
しかし、平成から令和へと遷った頃から、サケの漁獲高が激減。記録的な不漁が続き、もはや「飢饉」に近い状態となっています。当漁協ではこれに立ち向かうべく、令和4年度からトラウトサーモンの養殖を試験的に開始。収益の安定確保となるよう努めています。 このように順風満帆とは言い難い状況ではありますが、組合員の皆さまが安心して漁業を営めるよう、健全経営を目指し、労を惜しまず努力してまいります。

- 生駒利治
- Ikoma Toshiharu
- 1948年(昭和23年)生まれ。亜細亜大学経済学部卒。山田町役場勤務を経て、大浦漁協理事となる。山田町議会議員・同副議長を歴任し、2008年(平成20年)大浦漁協代表理事組合長に就位。翌年、2009年(平成21年)三陸やまだ漁協代表理事組合長に就任。
Summary
組合概要
団体名 | 三陸やまだ漁業協同組合 |
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代表 | 代表理事組合長 生駒利治 |
設立 | 2009年(平成21年)10月1日 |
出資額 | 327,411,000円 |
取扱い高 | 3,682,850千円 |
役員 | 13名(理事10名、監事3名) |
組合員数 | 599名(正組合員 386名・准組合員 213名) |
職員数 | 22名(臨時職員1名含む) |
所在地 | 〒028-1332 岩手県下閉伊郡山田町中央町11番14号 |
事業内容 | 共済事業、購買事業、販売事業、利用事業、自営事業、指導事業 |

History
組合沿革
1949年(昭和24年)6月15日 | 山田湾漁業協同組合設立 |
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1949年(昭和24年)6月15日 | 山田町漁業協同組合設立 |
1949年(昭和24年)6月18日 | 織笠漁業協同組合設立 |
1949年(昭和24年)6月20日 | 大浦漁業協同組合設立 |
1949年(昭和24年)8月3日 | 大沢漁業協同組合設立 |
1970年(昭和45年)3月31日 | 山田湾漁業協同組合設立(旧山田湾漁協と旧山田町漁協が合併) |
2007年(平成19年)12月7日 | 山田湾漁業協同組合盛岡地方裁判所へ民事再生申立 |
2008年(平成20年)2月22日 | 再生計画開始決定(民事再生集結期間 : 10年間) |
2009年(平成21年)10月1日 | 三陸やまだ漁業協同組合設立(大浦、織笠、山田湾、大沢の4漁協が合併) |
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